人を信じてみる。
もし、こうなったらどうしよう?
もしも、もしも……といっぱい心配してしまうのは
自分が、傷つきたくないからなのだと思う。
心配し疑う自分を責める必要はないと思う。
持ち上げられて見捨てられた経験が過去に何度もある。故に、見捨てられることがとても怖く、怯えているのだ。
自分が子供の頃、自分のことを親は全く信じてくれていなかった。「どうせ」という言葉と共に、多くの疑いをかけられた。
疑い心配する当事者というのは、自分の心配を心に留めておけないモンスターのように思える。
(
昔母親にされたじゃないか。
勝手にこっちを悪者にされて、被害者面されたじゃないか。
)
もう昔の、自分の過去の繰り返しは、やめたい。
あなたのことを信じたい。
0から始める第一歩として、私はあなたを信じよう。
いままで人を信じられなかった自分だけど、
また0から始めようと思う。
自分が相手を愛するように
相手も自分を愛してくれている。