デブに飽きた。

今年30になる自分だが、かれこれ歴20年のデブである。

身長は160ちょいの、体重が60kg前後。

中途半端な、面白味のない、タチの悪いただのデブである。

 

 

そんな私がここ最近デブな自分に飽きてきた。

 

ちょうど暇なので、なぜ飽きたのか書いて思い返してみる。

 

要因1.「自分のポテンシャル最大限活かせてないんじゃね」という気づき

急になんだコイツって感じだが、自分は自分の顔が正直そこまで悪い方だとは思っていない。

これは自分の甚だしい勘違いである可能性も大いにあるが、

数値で表すと10点満点中8.2点くらいなんじゃないかと思っている。

自分の顔はどちらかといえば男のような顔で、骨格がはっきりしている。

正直化粧をしてもしなくても大して顔が変わらない。

友人にも、ハーフ顔だと言われることが結構ある。

 

そんな、顔が決して悪くない自分だが、前述の通り、私はかれこれ20年もデブなのである。

それが、今年自分が30になるということをきっかけに、これって普通に勿体なくない?もし痩せてたら、自分もっと男をはべらかせる人生を送れたんじゃない?

そんなふうに30になってみてやっと気づいた。

さすがわたし、ポンコツ故に気付くのも遅かった。

 

要因2.老いにより食に以前ほど興味がなくなった

数年前までの自分は、呑みに行ったら帰りに必ずラーメンを食べていた。

お風呂上がりにアイスを食べる日が2日に1回はあった。

そもそもの食べる飯の量が恋人(男性)と大して変わらなかった。

 

そんな哀れなデブが、最近はアイスもそれほど食べたいと思わず、呑みの後のラーメンには目もくれない。日常で食べるものも、スティーブ・ジョブズの1週間のコーデかのごとく決まりきってきてしまった。

 

なぜこんなことになったのかというと、これは純粋に、私は老いたために欲求が落ちたのではないかと考える。

 

歳をとるにつれ性欲が落ちるというのはよく聞く話だが、食欲についても同じことが言えるのではと思っている。

 

 

要因3.自分が変わってしまうことへの抵抗がなくなった

前述の通り私はデブとは20年来の付き合いで、あまりにも長くデブと付き合いすぎたために、デブというのが私の大事なアイデンティティになってしまっていた気がする。

 

デブでなくなってしまったら、それはつまり自分じゃなくなってしまうということ。

大袈裟かもしれないが、心のどこかでそんな思いがあった気がする。

 

 

私はプライドが高く自分が大好きなので、ありのままの自分であることを保ちたかったし、そんな自分を周りに認めてほしかった。痩せてしまったら、自分が自分ではなくなって、それが親を見捨てるような感覚があった。でもそれは、本当は親を見捨てるんじゃなくて、自分が子供のままでいたかっただけなのかもしれない。もはや意味不明だが、そういった謎の葛藤があったのは間違いない。

 

それが急に考えが変わったのは、理由はよくわからないが、これもまたおそらく老いのせいなのだろう。老いたせいで、ある意味自分のことなんてどうでも良くなって、変わるとか変わらんとかなんやねんって気持ちになってきた。

 

 

だんだん書いているうちに眠くなってきたので終わる。

さよならデブ。私はもうデブではなくなるから。

ただの痩せた中年の女になるから。

さようなら。

ベトナム珈琲

 

日曜の今日、ランニングに行き、帰ってシャワーを浴びた後近所のカレー屋に行った。

 

そこで淹れてもらったベトナム珈琲がとてもとても濃く苦かった。そのカフェインによるものか、わたしの頭がかなり興奮状態となり頭がクラクラとなった。

 

お陰で私は自分の世界へと潜り込み客観性を失った。普段自分に落ち着きを無くさせる、あの謎の不安感もゼロとなり、一人の公園での散歩を大いに満喫できる程だった。

 

 

恐るべきベトナム珈琲。確かにあの珈琲はとても濃かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

客観性を失うことが人の幸せへの1番の近道だと思う。

ここ最近、着実に客観性を失っている私だが、まだ若かりし頃は、周りの目が気になって気になって仕方がなく、それを意識しすぎるあまりただ外を歩くのにも、手と足が同時に出てしまいそうになる程だった。

 

 

 

客観性がなければ、人は自分の世界で生きていける。自分の物差しで、自分の感覚を信じて生きることがどれほど素晴らしいことか。

 

 

これから更に客観性を失って行きたいとしみじみ思い日曜日の夜私はこれを書いているのだった。

くだらない飲み会、無駄な時間

コロナはその不要さを教えてくれた。

東京はその不要さを教えてくれた。

 

断れない期待に応えたい自分、それは自分の弱さだ。自分が弱いくせに周りに文句を言うのは間違っていると思う。

 

東京から戻っても、今みたいな生活を続けたい。不要な時間はまっぴらごめん。どうか自分を一番に大事に生活して行きたいものだ。

 

合理的でドライで、それでこそ私なのだから。

人に感謝されたい

 

人の役に立って感謝されたい

そういう感情を日頃から得て生活出来たら幸せだと思う

一つ注意点がある、感謝されれば何でもいいわけじゃない

自分が自分らしさ、センスを多少なりとも発揮し、作り上げた成果に対して感謝されたいのである

完全なエゴ丸出しであるが、これが私の正直な気持ちなのだ

夜走ると遅起きになる

起きた10:23

自分のどうしょうもない嫉妬心、不安感、惨めさ等々相変わらず抱えていますが、こういう状況にあることを最早楽しむべきなんだと思えるようになったのはちょっと成長!(であり老い)

走ったらメンタル改善

走る前にモヤモヤと、なんのために生きてんねやろって闇モードやったのだか、

走り終わったらあら不思議、今の逆境にあることは実は良い経験なんじゃないかなんて思える。

 

不思議やわー。